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復興都市から未来都市へ「美しい沖縄」が世界平和のシンボルになる理由

2020/08/11 09:00

太平洋戦争で最激戦地となった沖縄県は今なお多くの課題を抱えている。
しかし、その一方でポジティブな進化を遂げているのも事実だ。
参議院議員今井絵理子氏と、JCI日本会頭石田全史が沖縄県のもつ無限の可能性について語り合った。



ひめゆりの塔で感じた思い

石田全史(以下石田):今年は終戦75年です。太平洋戦争の末期に沖縄県は本土決戦の地となり、全戦没者数は20万人を超えました。その中には多数の沖縄の民間人も含まれているといわれています。捕虜になることを拒んだ人々は、岬から飛び降りたり、防空壕の中で手榴弾を点火させたりして、自ら命を絶ったという史実が残っています。米軍の砲撃は学校や病院にも及び、逃げ遅れた無防備な看護員や負傷兵、子どもまでもが犠牲になりました。その沖縄戦を経験したほとんどの方々がお亡くなりになられています。先の戦争を知らない沖縄の人々は、この戦争をどう受け止めているのでしょうか。

今井絵理子(以下今井):小さな子どもに聞かせるにはあまりにもつらい歴史ですので、あえてその事実を矮小化させて子どもに伝えてきた家庭も多いようです。実際、私の家庭もそうでした。私自身は12歳のときに上京し、それ以来、歌手としての活動に精いっぱい取り組んでいたので、その間に戦争や平和について深く考えることはありませんでした。21歳のときに息子を出産したことが人生の大きな転機になったと思っています。命の尊さ・重さを身にしみて感じた瞬間でした。それ以降は、自分自身のルーツを辿るために、毎年のように沖縄へ里帰りをしています。

石田:私は年に数回沖縄を訪れます。平和祈念公園内の墓地やひめゆりの塔に行った際には、今の平和は、沖縄の犠牲の上にあると、先人たちへ手を合わせます。

今井:ひめゆり平和祈念資料館には、沖縄戦でお亡くなりになったひめゆり学徒隊の看護員ら200余名の遺影や遺品が展示されています。以前は、沖縄戦を生き抜いた語り部さんが、涙を流しながら、戦時中のことを伝えてくれました。13歳の少女(ひめゆり学徒隊)が遺体をシーツにくるみ埋葬したという話や、自らのたった一個のおにぎりを、栄養失調で動くこともままならない幼児に与えた看護員さんの話を聞き、想像すると、胸がひどく痛みました。こうした語り部さんの多くが天国に旅立った今、戦争を知らない私たちは、絶対、この歴史を風化させてはいけないと思っています。それを次世代に伝えていくのが、私たちに課された使命です。

石田:戦争の爪痕は今も残っています。戦後、日本の復興活動は急速に進められ、1950年あたりから高度経済成長期に突入します。大きな役割を担ったのが鉄道の復旧です。しかし、米軍の統治下の沖縄では、県営鉄道を復旧させることができませんでした。米軍の基地が沖縄本土に数多くつくられたため、市街地の整備ができなかったのです。今も公共交通機関が少ないことは、沖縄の人々の日常生活にとって非常に不便な状況であると、私は思っています。本土との経済格差を生んでしまった要因のひとつだといわれています。

今井:ひとつ私が皆さんにお願いしたいのは、沖縄の基地の問題や、⽇⽶地位協定について⼀緒に考えてほしいということです。これらの安全保障にかかわる問題は、政府、沖縄県⺠だけでなく、⽇本国⺠全体で共有しなければならない問題です。米軍基地への負担軽減、日米地位協定の改定を日本が本気で求めるならば、全国民が一体となって⾏動しなければなりません。決して沖縄だけで解決できるものではありません。沖縄は、米軍の基地問題以外にも多くの課題を抱えています。だからと言ってネガティブに傾くのではなく、私たちは沖縄の発展のためのポジティブなビジョンを内外に示していかなければならないと思っています。そうして初めて、沖縄が平和の象徴として世界に認められることになるのだと思います。

石田:しかし、沖縄では、米兵・元米兵による事件や事故もあとを断ちません。

今井:非常に悲しいことだし、許せないことだと思っています。しかし、憎しみだけで問題を解決できるわけではありません。これまで、95年の日米合同委員会合意によって凶悪犯罪の被疑者である米軍・軍属について起訴前に日本側に拘禁を移転することを可能にし、2017年には日米地位協定の軍属の扱いに関する補足協定を結ぶなどの対応をしてきました。先ほど述べたように沖縄で起こる安全保障にかかわる問題をすべての日本国民が共有し声をあげ、このような悲劇が起きないようにしていかなければなりません。

Photographs by Kiyoshi Hirasawa