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左:日本JC第67代会頭 池田祥護 右:品川女子学院 漆紫穂子理事長

「失敗」と「もめ事」が導く成功の方程式 

2018/12/15 13:00

安倍晋三総理の私的諮問機関、教育再生実行会議の有識者として国の教育改革をけん引する品川女子学院の漆紫穂子理事長。1989年、祖母が創立した同校が経営危機に陥ったことを契機に一教員として入校。わずか5年で入学希望者約30倍の人気校に急成長させた。そんな教育再生の第一人者に訊く、組織改革が成功する意外なスイッチ。

池田祥護(以下、池田):漆紫穂子理事長は、曾祖母が創立した私立の女子中高一貫校、品川女子学院が経営危機に陥ったことを知り、それまで勤めていた他校を辞めて入校。一教員として学校改革に取り組み、わずか5年で入学希望者約30倍の都内屈指の人気校に急成長させました。1989年(平成元年)のことです。まずは、その背景を教えてください。

漆紫穂子(以下、漆):品川女子学院の前身である荏原女子技芸伝習所が開設したのは25年(大正14年)です。当時は、女性には男子と同じ教育は必要ないと思われていた時代で、参政権もありませんでした。曾祖母は政治家の娘だったこともあり、いつか必ず女性が政治や経済で活躍する日が来ると信じていたのです。

しかし、文句を言っても始まらないので、まずは手に職を付ける集まりをつくろうということで、近所の人に声をかけて、お裁縫やお勉強をするグループをつくった。その2年後に関東大震災が起きたのです。女性たちは被災者を助けるために避難所を設営しました。社会的に弱い立場の女性たちが頑張っているのを見て、周りから次々と協力が集まりました。この功績が認められ、寄付や自治体の支援を得て、それに私財を合わせて技芸伝習所を設立したのです。そこからずっと女性と社会のつながりを大事にしてきました。

ところが、男女雇用機会均等法(86年施行)の時代になって女性も大学に進学するようになったとき、その波に乗り遅れてしまったのです。気付いたら中等部の入学応募者が5人しか集まらなかったこともあり、このままだと私学の燈火が消えてしまう。そんなとき、他校から戻ることにしたのです。

池田:なるほど。しかしなぜ、家業ではなく他校に勤めたのですか。

:両親は教員である一方で、経営に携わっていたので、子供のころからその大変さを見ていました。教員としての背中を見て、教員にはなりたいけれど、経営者にはなりたくないと。他校の先生になろうと思うようになったのです。

池田:ご両親から要請があったから戻ったのですか。

:それがですね、なかったのです。いきなり、勤務校の先生から「品川女子学院が経営危機に陥っている」と聞かされて。さらにそのとき、母が末期のがんで余命半年と宣告され、何か手伝いたいと自分で勝手に判断しました。

池田:現場で改革を進めるにあたり反対する声はありましたか。

:そうですね。例えば、当時は商業科もあり、卒業するとすぐに社会人になる生徒がほとんどだったので、しつけがものすごく厳しかったのです。「髪型3パターン」とか。若手の教員は「もっと生徒の自主性を大事にしたほうがいい」と言い、ベテランの教員は「いや、しつけが大事だ」と。外から来た私は何が足りないかが見えていた一方、そこまでの事情を知らず、つい、生意気なことを言ってしまい、先輩から「そんなこと言ってると居場所がなくなるよ」と注意されたこともあります。意見がぶつかってもその底辺にある価値観は「生徒の将来のため」。だから過去の行動を否定してはいけない、若かった私はそれが分かっていなかった。

池田:家業に役職付きで戻り、トップダウンで改革を進めるのではなく、ボトムアップで合意形成を図りながらやったわけですね。

:もう本当に一教師として、授業も部署もめいっぱい持ち、営業的な仕事も人一倍やりました。ボトムどころか、「外から来た事情の分かってない人」なので、意見を聞いてもらえる場所もない。ただ、若さにはメリットもあり、話を聞いてもらえないけれど、聞かせてはもらえる。そこで、若手教員、保護者、生徒、成功している学校や塾と、話を聞かせてもらいました。改革の必要な組織の答えは現場にあると気づきました。外部だからこそ見えることもあり、そうした方にお願いして自分以外の口からみんなに話してもらうことにしたのです。

池田:素晴らしい創意工夫ですね。

:中でも最も心に残った言葉があります。周りのほとんどの人から「もう手遅れだ」と言われているときです。「あなたの学校は大丈夫」と言う他校の校長先生がいたのです。「あなた、今できることがあるでしょう。まずそれをやりなさい。それをやっているうちはつぶれないから」と。

それがストンと心に落ちて、スイッチが切り替わりました。自分の手に負えない大きなことは横に置き、とにかく目の前の小さいことに取り組みました。すると、少しずつ手伝ってくれる人が出てきて、そのうちプロジェクトチームみたいなかたちになった。そこから小さな成功が少しずつ生まれてきたのです。生徒が成長したり喜んだりしたら、学校の先生はうれしいもの。そこに共通の価値観があります。「優先順位よりもスピード」目の前の小さな積み重ねで歯車が動き出しました。

Text by Hideyuki Kitajima|Photographs by Masahiro Miki