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無限の可能性を秘める新素材ライメックス 株式会社TBM羽鳥氏が語る2つの循環とは?

2019/05/06 15:00

TBM × ライメックス素材


加藤
:私も地方のいわゆる中小企業を経営しています。社内でもここ最近SDGsに対する意識は高まってきており、いわゆる社会課題に対して取り組んでいこうという思いはありますが、十分に取り組めていないというのが現状としてあります。それってきっと発想のスタートであったり、取り組み方であったり、そういったところに非常に課題があるのかなと思っておりまして、まずそこから紐解いていきながら、JCメンバーがどうSDGsと向き合っていけばいいのかというところに焦点をおいて、対談を進めていきたいなと思っています。それでは早速ですが、まずはじめにTBM様がなぜライメックス素材というところに着目したのかをお聞かせください。

羽鳥:はい、社長の山﨑敦義がTBMを創業したのは2011年頃になります。SDGsが出来たのは2015年ですので、SDGsという言葉が世に出る前からライメックスの事業はスタートしています。そしてこのライメックスを扱う理由となったのは、「分かりやすく社会に貢献する事業をやりたい」という創業時からの強い思いがありました。最初はライメックスに似た素材でストーンペーパーというのがありまして、このストーンペーパーは台湾で作られていたんですが、その輸入代理店みたいなことをやっていました。このストーンペーパーの最大のメリットは、紙をつくる際は一般的に水や木などの量が必要になるのですが、ストーンペーパーの場合はそれが必要無いというと点です。だから事業としてやっていたのですが、石が入っているので粉が出てしまうとか、印刷がうまくまわらないといったように、品質が安定しないという課題も同時にありました。その品質改善に向けて山﨑も台湾のメーカーに提案していたんですけど、中々うまく取り合ってもらうことが出来ませんでした。そこで、自分たちで開発をしようという話になり、元日本製紙の専務の角祐一郎を巻き込み本格的な事業がスタートしました。

加藤:ちなみに、山﨑社長が「分かりやすく社会に貢献したい」というふうに、そもそも思われたことってなにかあったのですか?

羽鳥:これは聞いたことですが、山﨑は20歳くらいから社長業を色々なところでやっていて、それなりに業績も出ていたんですが、30歳くらいの時だと思うんですけど、初めてヨーロッパに行った際に、何百年前に作られた街並みを見て、そういった街並みが脈々と受け継がれるのを目の当たりにした時に「自分がこれまで取り組んできた事業ってけっこうちっぽけだな」って思ったらしくて、もっときちんと世に残っていくものとか、世に貢献するものをやりたいと強く思ったらしいです。その後日本に帰国したあとにストーンペーパーの話を聞いて、事業をスタートさせるきっかけになったみたいです。

加藤:なるほど、素晴らしいですね。我々は一応企業経営者をしていますが、中々世の役に立つことをやりたいなというふうに思っていても、世の役に立つというところからスタートするよりは、どちらかというと目先の利益などを優先させてスタートしてしまうことって多いと思うんですよね。で、そこの両輪をバランスよく考えられるっていうのは非常に難しいことで、逆にいうと、ストーンペーパーばかり追いかけていたら、いくら世に貢献したいと言っても、多分だめだったよねっていうふうに思われたと思うんですけど、逆に、追いかけ続けられたのってなんかコツと言うのか、うまくライメックスと会えたとか、そのへんは何かあったのですか?

羽鳥:そうですね。やはり社会のニーズに応えるというのが世に貢献することだとすれば、その社会のニーズ自体は、きっと水に対する問題意識と木に対する問題意識で、この問題意識はこの先もあるだろうというのは、はじめた時からありました。それをきちんと遡及しながらも、ビジネス的に成り立つようにしなければいけないっていうのが、ハードルとしてあると思っていました。そのビジネス的にうまくいくっていうところで、ライメックスっていう素材が偶然の産物かもしれないですけど、紙に比べてもプラスチックに比べても比較的その競争力のある値段でお出しできるような素材にするために、頑張っているところもあるんですけど、その経済性のところと社会性のところをきちんと両方考えながらも、ビジネスとしてやってきたっていうのはあります。

LIMEX

また、社会性をきちんとコミュニケーションしたことによって、応援してくれる人が増えたっていうのは間違いなくあると思っていまして、ライメックスっていう素材はもちろん、環境への貢献があると思いますし、プラスアルファに我々が今、宮城県に工場があって、その宮城県の工場は被災地に貢献するために作らせていただいて、社会性の部分できちんとパートナーさんに対して訴えかけ、被災地に貢献する意図があってやっているのを伝えたのが、応援してくれる人が増えた一つの理由ではないかなと思っています。